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12月 14

不朽の名盤 バイロイトの第九 いつもと趣向を変えてLPレコードで楽しみませんか

第 296 回 蓄音器でレコードを楽しむコンサートのご案内

  • 日時 : 平成24年12月16日(第3日曜日) 午後 1 時 30 分より
  • 場所 : 熊本博物館 研修室 ( 2 階 )
第1部 ベートーヴェン作曲 第九交響曲 ニ短調「合唱付」作品125
今回のレコードは1951年 第2次大戦後、初めてバイロイト音楽祭が再開され、初日に演奏された実況録音盤(LP)です。指揮はフルトヴェングラー、バイロイト祝祭管弦楽団及び合唱団で「フルトヴェングラーの指揮の下、ベートーヴェン音楽の本質が最も生き生きと再現されている」(宇野功芳)と言われている見事な演奏です。ご期待ください。
第2部 日本のジャズ LP盤使用です
今回は、皆さんご存知の曲を巧みに日本のジャズマン達がアレンジした5曲を楽しみたいと思います。また、本場米国の悲運のトランペッター クリフォード・ブラウン、4月の思い出 エマーシーレーベルを特集します。

※ 今月は第3日曜の開催となりますので、お間違えの無いようにお願いします。

第296回蓄音器でレコードを楽しむコンサートのご案内

第296回蓄音器でレコードを楽しむコンサートのご案内

熊本博物館は3月末まで『まなぼうさい展』を開催中。展示物は移動が大変なものがすでに片付けられていて、館内は一時期殺風景でしたが、パネル展示や学芸員の研究発表に関連する展示や講座が数多く行われる。これまで活用しきれていない特別展示室のスクリーンなども使われたりと、名残を惜しむ感じでもある。視聴覚設備、ホールとプラネタリュームスペースを中心とした内部改装が行われる足掛け2年に渡るリフォーム前の総決算のようだ。先週末の8日には「国分寺」の研究成果の講座を楽しんだ。休館まで何度も足を運びたい。さて16日の『第296回 蓄音器でレコードを楽しむコンサート』で聴いて貰うベートーヴェンの交響曲第9番は、「史上最高の第九」とされる不朽の「フルトヴェングラー最高の演奏」。「20世紀最高のレコード」と絶大な評価を得ているようにSPレコードではなく、LPレコードで聴きます。録音は1951年7月29日。1944年を最後に中断していたバイロイト音楽祭の初日の実況録音。SPレコードではなく、LPレコードで発売されたこと、ナチ協力者として演奏会を禁じられていたフルトヴェングラーが同じく、ヒトラーのお気に入りの劇場だったということで禁止されていた音楽祭で叶ったということで、『戦争が終わった』とドイツの人々も感慨一入でもあったのでしょう。そしてこのレコード、もしかしたら違う指揮者の演奏であったり発売されることがなかったのかもしれないのです。
戦前、戦中、戦後の五大指揮者に数えられるヴィルヘルム・フルトヴェングラーですが日本に来ることはありませんでした。一度飛行船のヒンデンブルグ号で来日予定でしたが、事故で成りませんでしたがノリ気ではなかったようです。多くの演奏家がヨーロッパの劇場がオフ・シーズンの間は南米を訪れてましたが『音楽を商売にしてる』と嫌っています。ナチに名を付けられドイツ国内の劇場から締め出しを食って私生活も危機的状態だったブルーノ・ワルターをアルトゥーロ・トスカニーニが救出後は、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルを掌握します。フルトヴェングラーは国内から何処に行く事も出来ないドイツ国民の為に本物の音楽を聴かせたい。そういう信念で留まり、それが国民からも賞賛されたのでしょう。戦争時のドイツ・グラモフォンの演奏と、戦後EMIでの録音を聴き比べると音楽に対する姿勢には変化が感じられます。
1947年12月、フルトヴェングラーは軍用列車に乗せられベルリンへと連行された。ナチ政権に仕えたこと。指揮者デ・サーバタに反ユダヤ的な差別発言をしたこと。ナチ党の公式行事で指揮したこと、プロイセン枢密院顧問官で有ったこと。この4つの件で非ナチ化審理を受けることになる。
ムッソリーニが処刑され、ヒトラーがピストル自殺をした翌日。相当の死を告げたラジオ放送でフルトヴェングラーの演奏が使われた。この「ドイツ版玉音放送」は電力不足で、あいにく聴いていた人は一割にも満たなかった。(1951年7月29日録音)

名演、名盤と時代背景

バイロイト音楽祭も1944年を最後に開催が中断する。創設者のリヒャルト・ワーグナーの娘、ヴィニフレッドがナチとの親交が深かったためだ。ヴィニフレッドにはヴィーラントとウォルフガングという二人の息子があり、彼女が全遺産を放棄することで音楽祭は二人の息子に譲られる事で1951年7月29日に戦後初の初日を迎える。
ヘルベルト・フォン・カラヤンもフルトヴェングラー同様の裁きが下る。ナチ党員の嫌疑は無罪になるが、連合軍は承認を渋った。特にアメリカ国内で反対の声が高まった為だった。例えばトスカニーニはフルトヴェングラーをはじめとするナチに加担した人々とは、一切関係したくない』と非難した。更に1948年に追い討ちが係る。6月24日、ベルリンはソ連軍によって封鎖されてしまったのだ。
東西にベルリンが分割され、カラヤンは東側で活動することも覚悟した。フルトヴェングラーはアメリカのシカゴ交響楽団から音楽監督就任の要請は、ハイフェッツはじめアメリカの音楽家が反対した。カラヤンには英EMIのプロデューサー、ウォルター・レッグが救いの手を伸ばす。公で『演奏を禁止されている』との連合軍の決定を、録音をするのは構わないと解釈し英国外務省に働きかけて許可を取った。イギリスの企業が私的に行う演奏までを米ソがつべこべ言うなと啖呵を切った。そうして中身は英国のオーケストラメンバーから選抜されたフィルハーモニア管弦楽団をカラヤンがレコードを録音するために支度した。別名にしたのは、気を使ってのことだろう。
新生バイロイトは、ナチス色を一掃させなければならないと考えていた。そこで戦前戦中と無縁のカラヤンにを起用した。と共にフルトヴェングラーにも声をかけた。しかし「カラヤンを出演させる時は、わたしがその地にいない時にしてくれ』とまで嫌っていた。バイロイト音楽祭の復活は喜ばしいことだ。初日に指揮できるのも名誉だが、音楽祭の殆どをカラヤンが指揮する。自分が前座のようではないかと思った。

今回のLPレコードの聞きどころ

『音楽祭で最初に音を出すのは、カラヤンではなく、貴方でなければならない』。その言葉に心を揺らされて、『カラヤンのバイロイトには出る気はないが、リヒャルト・ワーグナーのバイロイトになら出よう』と言って、ようやく承諾した。
今回聴きます。フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団のレコード。レッグはカラヤンが指揮する《指環》と《マイスタージンガー》を録音するのが本命だった。フルトヴェングラーの《第九》は発売する予定は無かった。『ついでに録音しておくか』ぐらいの気持ちしかなかった。フルトヴェングラーも演奏を終えるとさっさとバイロイトを去っている。発売されたレコードは演奏会そのままではなくリハーサルの録音などをレッグの裁量で編集されている。演奏会そのものの録音は、バイエルン放送局から発見され現在はCDで聞ける。※購入は http://amzn.to/UJWk3k
聴き比べると内容は違いますが、冒頭のゆっくりした長い緊張感と集中は実況盤のほうが勝る。しかし第3楽章など演奏に乱れがある。ただ新しい世界を切り開こうとするベートーヴェンの音楽と、レコードを手にした人々の思いが重なったに違いなく『不朽の第九』であることに違いはない。そして『音楽祭』はカラヤンのものとは成りましたが、レコードとして発売されたのは《ワルキューレ》第3幕だけでした。

第二部は『日本のジャズ』

先月は講師急病で急遽『持ち寄りコンサート』と入れ替えになった第2部。今回は前々から要望もあったジャズをLPレコードで聞いてみようという試みです。ジャズを聞く取っ掛かりとして『和風ジャズ』とでも言っていいでしょうか、日本人も馴染めるように日本のジャズメンによってアレンジされた名曲を聴きましょう。また、クリフォード・ブラウンの情感たっぷりのトランペットも特集されます。楽しみです。今月はいつもと違って第3日曜日の例会です。会場は案内状によると研修室になっていますが、こちらが以前から伺っているのは特別展示室(一階ホール)での利用となっていますので、会場の確認は当日行ってください。場合によっては内容の変更もあります。次回1月は新年はワーグナー、ヴェルディ生誕200年。オペラの両巨頭にちなんで『前奏曲と序曲』を予定しています。